親からの躾

新年早々、また親からの躾の記憶が頭に蘇ってきたので、吐き出しておく。

 

躾というのはペットに対してするものだと思う。

人間には言論と愛情を持って諭すことが必要だと思う。

忙しさを言い訳に、説明をせず、何かを強制することは本当によくない。

 

自分の頭で「何故」と考えるタイプの人に、躾をする場合は、ちゃんと何故かを説明してあげないといけない。

というか、経営者が社員に何かを強制する時も、国家が国民に何かを強制する時も、必ず「説明」が必要。親というだけで「説明」を省き、さらにそれを繰り返すと、しっぺ返しを食うのは当然だと思う。

本質的に「強制」は良くない。ただ、やむを得ず「強制」をする場合は必ず説明をしないといけないと思う。

 

親と仲が良い親子が羨ましい。

贈与税のことを調べていて、この思いがまた蘇ってきた。

小さな頃から親子仲が特に良いわけではないので、実家に帰る(実家に定住する)という選択肢がない。

 

実家に定住するというのは、過去の忌々しい記憶を肯定することになってしまう。

 

自己分析をすると、否定されることが極端に嫌いなんだと思う。プライドが極端に高いともいえる。

だから極端な努力をするし、それなりの結果も残しやすいが、扱いが難しい性格だとも思う。ただ、親としてはそこを考慮して、子育てをして欲しかった。

 

 

躾をされた身としては、以下のことを思う。

・完璧主義に躾をすると、それを完璧に再現しようとするから良くない。

・完璧主義は放っておいても完璧に行こうとするので、大丈夫だよやらなくてもいいよ。というような緩い方向に持って行ってやる必要があると思う。躾で厳しい方向に持って行くと、それを完璧に再現しようとするから軋轢を生む。

・躾(強制)ではなく、提案を提示すれば良いだけなのに、なぜ強制をするのか。強制ではなく、提案が教育だと思う。

・躾をされると家庭が楽しくない。否定をした場合は、それ以上の肯定(褒め)が必要なのに、自分の場合は褒められた記憶はない。

肯定的なことを言う時は「客観的な感想のような言い方」をして、否定的なことを言う時は「主観的な絶対悪というような強い言い方」を常にしていた。これは他者に対する接し方として、反対にしないといけないと思う。

 

 

実家の躾を受けた心理的な感想を例えると以下になる。

 ・寒い中、冷たいバケツに入った水を何度も怒りながら、かけられ続ける。

・崖から何度も何度も下に落とされる。

 

 

小学生の頃から、精神的に一人で生きてきた。

小学校低学年くらいから悩み事や辛いことがあっても、精神的に頼ったことがない。

自分の中で論理的に自己解決して、そのソリューションを実行して、解決してきた。

 

仮に相談をしても、忙しさからまともな返答がないか、あるべき論でこちらの感情を封殺されていた。

結果的に、徐々に相談しなくなり、中学生くらいからは何も話さなくなった。

 

半面、その寂しさを紛らわすために、学校では人一倍明るい方だったと思う。

いま思えば、ただ単に家で満たされていないから、学校で発散してるだけだったと思う。だから、交友関係(友達や知り合い)は人一倍多かったが、正常な人間関係を築けていなかったと思う。

寂しさから、親の代わりになるような、安定した存在を探し続ける、心としては亡霊のような存在だったと思う。

 

 

親に相談しないことが、普通かどうかわからないが、心理的に頼っていないので、心理的な感謝が生まれにくい。

辛いときに助け合ってこそ、信頼関係が生まれる。親子の信頼関係が出来ていないというのが正しいと思う。

 

相談する経験がないから、大学を辞める時も、結婚をする時も、起業する時も、どこかに引っ越す時も、世界一周に行く時も、一度も相談したことがない。

相談しても、また冷や水を掛けられるだけだと分かっているから。

事実、決断した後に事後報告をしたときは、想定通り、冷や水を浴びせてきてくれた。

自身の「心配」という気持ちを、相手にぶつけているだけということに、気付いてほしい。

 

 

衣食住を提供して、躾をしっかりやったのだから、子育てをしっかりやった。と思っていると思う。

折に触れて、中学高校の頃から上記のことを話したり、アピールしたりしているが、向こうの心には届いていないと思う。

だから絶対に帰らない(実家に定住しない)という方法で、いまだに抵抗しているんだと思う。

過去を肯定したくないから。

 

何なんだろうか、この人生は。

 

普通に親子仲が良く、たまにケンカしたりしながらも過ごし、

友だちも出来、新しい家族もでき、地元で生まれて死んでいく、こういう人はとても幸せだと思う。

 

生まれてから、一番最初に育むべき親子の関係を正常に構築できていない(と思っている)自分としては、一生幸せがやってくることはないと思う。

 

幸せというのは、自分の心の在り方次第だと思うから、環境や状況が客観的にみて最高だったとしても、自身の心が最高に満たされることがない。

 

ピラミッドを組み上げる時の土台の部分がブレブレなのだから。

本当に罪深い。

 

どうすれば良いのだろうか。

 

たぶん「赦す」とか「足るを知る」という精神的な状況に、心の奥底から行き着くことだと思うのだが、まだ難しい。