Yahooニュースの記事、「つらくても一人で頑張ってしまう人」に足りない幼少期の親との経験

「つらくても一人で頑張ってしまう人」に足りない幼少期の親との経験(PHPオンライン衆知) - Yahoo!ニュース

 

世俗の世の中に生きている以上、私たちは人と接することを避けられない。よいコミュニケーションは、よい人生につながるだろう。しかし、どうしても人と打ち解けられない人も存在する。

そうした人は、皆と一緒に何かを楽しむことのできない「偽りの自己」であると加藤諦三氏は指摘する。何かに身を任せることができず、毎日がつらい。そんな彼らに欠けている幼少期の体験とは。

※本稿は、加藤諦三著『だれとも打ち解けられない人』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

「一緒に」楽しんだ経験がない
「偽りの自己」の人は「皆と一緒に楽しむ」ということができない。例えば一緒に暮らしていても、その暮らしを楽しむということができない。「偽りの自己」の人は「共に」ということができない。うつ病になるような人、つまり執着性格者は真面目だけれども、この「偽りの自己」なのである。

 

 

 

そういう時代だったんだろうな。

経済面(衣食住の面)で子供をしっかりと育てて、大学まで行かせて、躾をしっかりとする。

親には絶対服従で、それが上下関係を知ることに繋がり、良い子、理想的な子に育てるのが子育てである。
という感じ。

高度経済成長期からバブルにかけての頃で、日本がモノに踊ってた時だからな。

ただ、この育て方で出来るのは、ぱっと見はしっかりとした出来る人だけど、心はスカスカの人が出来上がる。

形だけの存在。

一番必要な愛をかけてないから。
人間の形をした、人間でないものが出来上がる。

モノ(衣食住)を提供するのは愛ではない。
関心を持って、話を聞いて、褒めてあげる必要があると思う。

それを蔑ろにして育てた結果、老後に返ってくるのはモノだけなんだと思う。
愛が返ってこない。だって与えてないから。
返し方が分からない。
寂しい関係である。
温かい関係が羨ましい。