がむしゃらに頑張って得られるもの
これは労力のわりに少ない。
私は20年頑張ってきて、やっと気付いた。
人生というのはジャングルの中を行くようなものだと思う。
この際、あそこを目的地にしよう。とか、こういうことをしたいな。とか。
人それぞれ、ジャングルで過ごす中でいろいろな夢がある。
ちなみにこのジャングルは同じ場所にずっと居られない。
常にどこかに移動し続けないといけない。
多くの場合、最初にいる場所より、より良いと思われる場所に憧れ、それを目的地として人は歩む。
私は目的地を見定めたら、一心不乱にそこだけを見て、がむしゃらに頑張るという方法を取った。
グダグダ考えて、手や歩みを休めるよりも、そこに向かって出来ることを少しでもした方が近付けると考えたからだ。
しかし、この考えは賢い方々からすると当たり前なのかもしれないが、間違っていた。
ジャングルには落とし穴もあれば、猛獣もいれば、迂回できるルートもあれば、はたまたボートで何倍もの速さで移動できるルートや、乗り合いのヘリコプターまである。
一人のチカラでがむしゃらに目的地を目指しても、一応目的地に近付くことは出来るが、100年という時間で一人のチカラで目的地にたどり着けるほどジャングルは狭くない。
考えて、計画を練って、場面場面で全体を俯瞰して打つ手を考えないといけない。
打つ手の一つとして、ある地点までがむしゃらに頑張るという選択肢があるかもしれないし、ある時期までは休息を取る、嵐がやむまではやり過ごす、猛獣のエリアでは撤退するという選択肢もあるかもしれない。
がむしゃらに頑張ると、頑張った気になってしまうのがまた危険だ。
これだけ頑張ったのだから、この結果が自分の最大値だと。
これが限界だし、これが運命だと。
まったくそんなことはない。
また、がむしゃらに頑張ると、目的地だけのとても狭い視野になる。
道端に最適なルートの地図が落ちているかもしれないし、道行く人に同じ目的地の人がいるかもしれない。ヘリコプターに乗る人いないかなーと探している人がいるかもしれない。
目的地だけのとても狭い視野になると、ジャングルの中にある花や動物や道行く人を見て、交流して、楽しむこともおざなりになる。
がむしゃらに頑張るのは、良くない。
考えて、計画を練って、場面場面で全体を俯瞰して打つ手を考えて、
最適と思われる行動を真剣に行っていきたいと思う。